ダイナースクラブ 「ゆかたで銀ぶら2018」ショッピングキャンペーン
ダイナースクラブ「ゆかたで銀ぶら2018」ショッピングキャンペーンに
掲載いただいております。詳しくは下記ご覧くださいませ。
https://www.diners.co.jp/ja/cpn_evt/cpn_yukata_ginbura.html
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ダイナースクラブ「ゆかたで銀ぶら2018」ショッピングキャンペーンに
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旧正月も間近です。
十四回を数える毎年恒例の七福神巡りは、今年は小田原七福神に参りました。車でも歩きでも伺えて、どなたでも巡りやすい参拝です。
七ヶ寺の穏やかで、落ち着いたお寺の雰囲気と、賑やかながら、空気の澄んだ二宮神社は、又訪れたくなる寺社ばかりです。
今回は下記のような順路で参らせて頂きました。
潮音寺(毘沙門天)→圓福寺(水掛布袋尊)→大蓮寺(福禄寿)→報身寺(恵比寿神)→二宮神社(二宮尊徳翁)→鳳巣院(寿老人)→福泉寺(弁財天)
‘オンマイタレイヤソワカ’
‘オンマカシリソワカ’
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「皇室の彩」展に行ってまりました。(東京芸術大学大学美術館にて。11月26日(日)まで。)
大正十三年、昭和天皇のご成婚に際し、絵画、彫刻、工芸の各分野を代表する作家達が参加し、飾棚、棚飾棚品、画帖などの献上品を制作する国家的な規模の文化プロジェクトが企画されたそうです。私の先祖親子の木内半古、省古の作品も展示頂いています。作家たちが、お祝いの一心で制作されたのだろう、という印象がもたれる、佳い展覧会だと思います。
写真が図録から撮った、宮内庁に献上されています、木内半古、木内省古の作品です。(関連して、半古の養父の木内喜八の作品の写真を掲載させて頂きます。)
木内半古の作品は裁縫箱、省古の作品は二曲御屏風の中のあけびの柄の象嵌扇面です。裁縫箱は下の写真の飾り棚に飾られて、献上されました。
はさみも雅で、糸巻きは小指ほどの大きさで細かく、物差しは撥金婁尺(ばちる・・象牙を赤、紺、緑、などの染料で染め上げ、その表面を彫刻し、白い象牙の素地を顕すことで図柄や文様を表現する技法。中国、唐代に盛行し、日本には奈良時代に伝えられ、正倉院宝物にはこの技法が施された作品が数多く収蔵されている)他の道具も細工が素晴らしいです。ぜひ実物をご覧くださいませ。
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撥鏤(ばちる)鞘刀子について(宮入氏資料より引用)
刀子とは奈良朝から平安朝の初期にかけて、大宮人の装身具、兼おまもりとして、皇居に参内する人々が常に前帯にかけていた小刀のことです。本来は木を削ったりする文具の一種であったと思われますが、外装に当時の大変な貴重品である外国産の素材を使用したことから、本来の使途よりも、一種の装飾、あるいは身分を表す道具となり、また護符、マスコットというようなものにもなりました。
奈良の正倉院には、約千二百年前の橘三千代夫人(光明皇后の母)が携帯したと伝えられる刀子があり、男子ばかりでなく、貴婦人も用いていたことがわかります。中略
この刀子の外装には、当時非常な貴重品であった犀角、水牛角、象牙、黒檀、沈香、瑠璃などの外来の材料が多く使用され、本邦産としては、真珠、梅木、棗、黒柿などが用いられ、いずれも工芸の粋を尽くしたものがありました。中でも特に高価なものが象牙鞘の刀子でした。加えて、その象牙も象牙そのままの色でなく撥鏤という工法で、さらに美しく、かつ価値の高いものに仕上げられたからです。
撥鏤とは象牙で形づくり、表面を染色してハネ彫りを施したものです。これは彫った線が白くでて、それで図柄を表します。象牙の色の種類は紅牙、緑牙、紫牙、紺牙などあり、伝世品はすべて正倉院に所蔵されています。中略
撥鏤の製品は平安初期頃までは作られていましたが、中国方面との貿易が途絶えてから素材の入手が困難になり、自然、製作技術も消滅してしまいました。それ以後、明治の中頃まで約千年作られることはありませんでした。中略
今回の発表作品は天平の昔の刀子を観察し、当時の製作技法を解明して、多種の色彩を草木染めにより再現したものです。(以上宮入氏資料より)
べっ甲のかわいい刀子や波紋の美しい刀も併せて、拝見しました!
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「いせよし」は明治元年、創業者千谷由太郎(よしたろう)からついた屋号。なので私にとって「いせ」より「よし」が大事なんです。
お客様にお渡しするものは、心のこもったものをお渡ししたい。そこで、まずは屋号に想いをはせる。イメージを整えて気持ちのままに、「いせよし」を何度も書く。なかなか満足はせん(๑˃̵ᴗ˂̵)けど、今の私の実力はこんなもんかと、とりあえず彫り始めましょ!白文(赤の部分が多くなる印)にて篆刻、今年も挑戦!
〝想い〟〝心〟が大事、だから不器用な私でも頑張るぞ!
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お稚児さんが勢揃い。男の子も女の子も、みんなおとなしく、案外この格好好きみたい…手早く着付け出来ました!ポリエステルの襦袢地はお袖が長く、上から天狗の上着のように、上着を肩にかけて(手は通さない)安全ピンで首の後ろと胸の合わせを留める。袴はぜんごがなく、紐で結ぶだけ。烏帽子の紐は耳のうしろを通って前の首の下で結びます。ヘアピンで4箇所留めるとしっかり落ちません。女の子は後頭部少し下にお団子ヘアだと落ち着きます。
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毎年伺う新年七福神巡り、今年は京都、都七福神に参りました。京都は仕事で月に何度も行く場所ですが、観光や遊びは全くできず‥でもお世話になっている土地の、七福神巡りはぜひとも!と。ありがたいことに、バス(京都定期観光バス075-672-2100 代金8,420円)のお陰様で疲れ知らずのお参りでした!御朱印色紙もこのようです。
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息子さんがタンゴの先生で、東京に住んでいらっしゃると、
アルゼンチンから訪ねたマルタさん。
歌手で家にカラオケがあるので、日本の歌も歌いたい・・と。
唄声を伺い、越路吹雪さんの「ろくでなし」をお勧めしたら、(古!笑)
Youtubeと供にたちまち歌っておられました!
綾香さんの「三日月」も良いかもね。私は
椿柄の大島にだんだんボカシの染帯です。
ブルーの無地の帯上とレモン色の帯締を合わせて。大島や帯に使われていない
色を合わせることで着物らしい和の色合わせになります。
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先祖の墓参りに比叡山に参りました。雪は覚悟していましたが、腰までの新雪、しかも雪かきもままならぬ、足で踏み固めながら、前人未到の道程となりました。
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以前「銀座で小さな和講座」地唄舞で講師をお願いした、花崎杜季女先生。この度、日本文化を広めるための空間を、と六瓢庵を開館されました。燭台と畳二畳さえあれば、舞うことができる、という地唄舞。杜季女先生の舞の開始と同時に、舞手と客が密接ながら、その二つの空気は異次元というほど、隔たりを感じる。そして、次第にそちらの世界に吸い込まれていく‥数分の舞が、遠い昔の出来事のように‥天井の高い、すっきりとした造りの六瓢庵は三鷹駅より徒歩3分。銀座からは45分ほどの道のりでした。ぜひ一度足を運ばれてはいかがでしょうか?
▼花崎杜季女先生ホームページ
http://tokijyo.com/
▼六瓢庵について
〒180-0013 東京都武蔵野市西久保1丁目10-1
tel:0422-69-3114(受付:平日午前9時から午後5時)
Email:info@mubyouan.com
ホームページ
https://www.mubyouan.com/
▼地唄舞ワークショップのお知らせ
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「銀座」なので、「銀字」がマイブーム。にかわとのバランスで、かたまった銀が筆にたまった状態で、字を書くと、いつもに増して字に繊細さが出ない。かと言って水で薄めるとうす〜ペラな字になる。
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ある晩、黄八丈を着た私をご覧になるなり、「夢二の絵みたい〜〜!」と写真撮影して下さった蜷川有紀さん。「こうやって座って、下向いて、笑っちゃだめよ」と演技指導までして頂き‥ん〜甲斐無く、演技力不足。それでもその後夢二の絵とともに写真を送ってくださったのがこの一枚。撮影頂いた時はあまり、ピンとこなかったけど、確かに‥黒い帯を猫とすると‥色彩的には似てる!それにしても黄八丈はめちゃ着心地いい〜〜!!
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ピアニスト横山幸雄氏 バイオリニストの大谷康子氏、ピアニストの仲道郁代氏、素晴らしい即興演奏を拝聴しました。若手バイオリニストの佐藤久成氏も心地よく、今後も楽しみです。
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奈良正倉院展行きました。今年も素晴らしい品々。漆胡瓶、大播笙、竽、鈴、などが代表作として紹介されていた。私が印象に残ったのは、袷の巾着袋。表の布の素敵はもちろん、四弁花文と珠文が交互に配され、亀甲柄に並んでいた羅の裏地。注目度は低いながら、何気なく可憐かつ手の込んだ品。(写真下から二番目)播が想像以上に大きかったこと、撥鏤飛鳥形が想像以上に小さかったこと、など、当時の方がそれぞれ製作を楽しんだ様子が伺え、この二つは実物必見!漆胡瓶は木の薄皮を巻き上げて形を作り、漆、銀板、を重ねる‥重ねの妙を身近に感じたい!中国から渡った漢字。日本で書いた漢字文書、中国から渡ってきた漢字文書、ちょっと違うよね‥これからも微妙な違いを感じたい!
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刀剣作家 宮入法廣師のお作品展。数々の流派を超えてのお作品が並ぶが、宮入先生は備前伝長船派を築いた光忠を復元するべく、彼の気配そのものの再現に挑まれるそう。刀全体のの鋭い大きな流れ、エッジの可憐さ、波紋のぼかし、刀の鼠色の影に隠れた蒼や黄の光、金細工、そして持った時の身の引き締まる重量感。そしてそれとは全く異質のお作品、刀子(小さな飾りのある刀)。その細工の繊細さなこと。深いなめらかな黒は紅との襲ね(黒は娘さんの光希さんによる染めとのこと)、効き色の岩絵具の赤や緑。
刀剣と刀子の対照的な作品は宮入師の鋭く、優しそうな表情そのものだ。
銀座いせよしでは、娘さんのお品を扱っています。象牙に施した繊細な細工を、どうぞ皆様も身につけてくださいませ。
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「銀座」にちなんで今回は銀で書きました。筆に銀がたまってのびないので、銀は金よりずっと難しかった…これから銀磨きします!
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三十代の頃出会った出羽三山。今年はどんなふうに迎えてくれるか、どんな自分と向き合えるか、畏れと期待を下に鎮める。一歩目からが旅の始まり。横へ縦へ、下へ上へ、内へ内へ、浅く深く、ただ進むだけ。昼も夜も光がふり、花々が待つ。 子供の頃に読みふけった、ピーターパンのティンカーベルが、たくさんの友達を連れて、枯れた枝も、にっこり笑って手を差し伸べる。雲が吹き、水が澄み通る。
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「とと姉ちゃん」で話題の雑誌「暮しの手帖」ではその昔、浴衣からワンピースを作るアイディアが提案されたそうです。
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三味線の撥(バチ)の当たる部分に貼るうすーい撥皮。ただでさえ薄い皮なのに、なんと縁が更に薄くのしてある。鳥肌が立つほどの職人技‼️小さいバチは、撥皮に付ける糊を綺麗にのばすための道具。単なるヘラなのに、撥のミニュチュアの形に作ってあるところが洒落てて好き(^^)糊は玉子の白みでも良いけど、貼るのが難しく、保存も難しいので、昔の洗濯糊のような自然素材を使用。貼った後もすべからく撥薄皮部分をなでる。そうすると触っても全くの平になって撥が引っかからない。素敵だあ!
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http://www.kasiya.jp/tenpo/
持ち帰りのお菓子も美味しいです!
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昨年7月に他界された五世 稀音家六四郎先生追善の稀音会。心よりご冥福をお祈り申し上げます。稀音家浄観 さん、吉住慈恭 さんの作曲の作品に魅了されます。聴きながらドビュッシーの曲も頭にポップアップ!外記節も好きだなあ…
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日本文化をお伝えすべく、アメリカ、スペイン、中国より、十数人のお客様がいらして下さいました(^^)
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カリフォルニア工科大のマイクブラウン博士らの研究チームは1月20日、海王星の外側に新たな惑星が存在する可能性があると発表した。太陽系外縁部にある天体の軌道を分析した結果、わかったという。実際に観測によって見つかると、準惑星に格下げになった冥王星に代わり太陽系の第九惑星になると期待される。チームは米メディアに対し「5年以内には望遠鏡で発見されるのではないか」と予測を示している。2008年に同様の手法で海王星の外側に惑星があると指摘した向井正 京都情報大学院大学教授は「これまでもいくつかにた仮説が出ているが、内容が少しずつ異なる。関心が高まり、もっと多くの観測が行われることを期待したい」と話した。チームによると、惑星は地球の10倍程度の質量があり、直径は2〜4倍。太陽から海王星までの平均距離(約45億キロ)の20倍遠い軌道を回っている。太陽の周りを一周するのに1万〜2万年かかるという。木星や土星などと同じガス惑星とみられる。チームは、無数の天体が密集する太陽系外縁部の「カイパーベルト」と呼ばれる領域の周辺にある6個の天体に注目。太陽の周りを回るスピードや軌道の傾きなどから計算すると、これらの天体の動きが、大きな質量を持つ未知の天体の影響を受けているいることが分かり、新たな惑星が存在すると理論的に示した。太陽系の第九惑星はもともと冥王星を指していたが、質量が小さいことなどを理由に、06年の国際天文学連合総会で準惑星とされた経緯がある。チームは「もし発見されれば、十分に惑星として認定される大きさだ」と自信を見せた。惑星の影響下にあるとみられる6個の天体には03年に見つかった直径約千キロの「セドナ」や、14年に報告された「2012VP113」と呼ばれる直径約450キロの天体が含まれる。《神奈川新聞より抜粋》
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今から二十年前、まだオリーブの木というものが日本でそこまで流行らなかった頃、ひよろひょろに細く頼りないオリーブの木を育てました。その後、意外にも高く、強くなった木から、義理の母が摘んで、塩づけにしてくれたオリーブの実がおいしかったこと!
そして今回はオリーブオイルの製作です。いくつかの実を石うすの要領でグラインドし、種から出た液体をカクハン機にかけるとバージンオイルがほんのほんの少々出来上がります。さて、いざテイスティングしようにも、試験管を傾けるとせっかく攪拌した液体が混ざってしまう!とにもかくにもできたてのオリーブオイルはおいしかったですよ!!
ものができる工程を見るとその大変さがわかります。そして、発見があり楽しいですね~(*^-^)
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子供の頃からよくお参りに伺った明治神宮。
七五三のお祓いのお子さん達と共に、参拝させて頂きました。
木々の力、水の清らかさ、立涌も感じる、
都会の真ん中の深淵な時を過ごしました。
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美羽さんの家のチンチラ、いせよしの看板魚の熱帯魚、互いの自慢話に花を咲かせた夜から数週間後、彼女のお作品が大英博物館にお嫁入りしたというニュース!美羽さんの羽ばたきで、チンチラさんも一転、慌ただしい毎日に変わったかしら?いずれにせよ日本の良さを海外の方に知って頂けることは、とっても嬉しいですね。
https://www.facebook.com/MiwaKomatsu
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全国の和食の会 芽生会。全国から有名どころの和食の粋を極める、日本料理の頭首たちが集まる会におじゃましました。
金王八幡宮の神職による神降ろしの儀式に始まり、福原百之助氏社中のお囃子にて、尾上菊之丞氏、茂山逸平氏の狂言三番叟、。前回の開催地である金沢芸者の演奏、東京の芸者さんである花街、新橋、赤坂、浅草、神楽坂、芳町が集まり、全国ご当地唄と舞を披露する。もちろん旦那衆は脇で唄。金田中 岡副真吾氏のプロデュースと尾上菊之丞氏の演出は素晴らしく、ついつい吸い込まれる舞台でした。当日の和食には、つきぢ田村さんの書かれた御字のメニュー付き。こんな心入れの会を内輪だけで披露されるのはもったいない!!が私の感想でした。神様の元での和食人たちのパフォーマンス&料理は、和のおもてなしとしてオリンピックに向けて、外国人にも披露したらいいのになあ‥
その東京地区の会長をされている鰻の「いづもや」の岩本公宏さん。http://www.idumoya.com
絹の上等な黒紋付と袴を弊店にて新調されました。大勢の中では、一際、黒の色の深みが顕著で遠くの舞台でも映える黒。何度も色を重ねた黒と、そうでない黒はここまで違うか、と誰が見てもわかります。パソコンの単調な色しか見ていない現代こそ、日本人としてこだわりたい部分です。そしてもちろん神前では黒紋付が正式な装いです。最前線で鰻を焼く職人さんながら、老舗を経営する岩本さんの姿勢がにじみでています。とっても美味しいので、日本橋三越にお買い物の帰りにお寄りくださいね。
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奈良国立博物館に行きました。タイムトリップして 自分の先祖たちに、会いに行く様な気分でワクワクドキドキです。
今回は私のひいおじさんにあたる木内省古、その父木内半古、その父木内喜八の三人展でした。(伊勢由の二代目千谷由太郎 は土屋家からの養子です。半古も土屋家からの養子にて、由太郎と半古は兄弟です。喜八と半古は血筋としてはおじと甥です)
作品の中には上野国立博物館勤務だった息子木内武男著(http://www.amazon.co.jp/dp/4876017506) の白黒写真でしか拝見しなかった作品もあり、カラーの実物が見られたのは、本当に 嬉しいことでした。木肌を生かした作品は、現在でも木の生命力が伝わり、残したスケッチには、その場で孫に描いているような温かみを感じました。 喜八は黒船でペリーが来航した時に幕府の命により六連発を作り、佛師、船大工でもありました。人物の奇抜さから物語の主人公にもなりました。半古、省古は正倉院御物の修復、模造、撥鏤(ばちる)(*表面を染色した象牙に文様を施したもの。彫った部分が白く表される。中国、唐代に盛行し、日本には奈良時代に伝えられた。)製作も手がける、木画士でした。木画とは木地に木、貝、金、石、などをはめ込み(象嵌し)柄にしていきます。上野の国立博物館や、奈良の正倉院展でも時々公開されます。 先祖は正倉院御物に関わり、奈良にある期間住み込み、また、足繁く通ったようです。 そして、木画は今はほとんど絶えてしまった技法です。その原因の一つは、例えば緑色を表すためには、錆びた緑青の中に15年から20年は漬けておかないと、色が定着せず、先代からの材料が無いと、若い時の創作が難しいようです。技法は継承しない限り、絶えてしまいがちです。和服の職人さんの匠の技も、できる限り存続したいと心を入れる毎日です。先祖に恥じることのないように日々を過ごしたい、と思う奈良訪問でした。
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小学校の先生になろうと大学の教育学科に入学したのに、教職を諦めて留学しました。その時、教師はいつでも出来るから、と留学の道を勧めて下さったのが小学校の石手先生。先生のおっしゃるとおり、今、小学校で浴衣の着付けを教え、女子大の小学校教員をめざす教育学科でも、講義をさせて頂く機会に恵まれました^_^教師を諦めて留学し、アメリカの会社に勤めたけど、結局今、こうして講義をさせて頂き、小学校でも教えることになった、という話を女子大でしたら、「二兎追う者しか二兎を得ず」と学びました、と感想文を頂きました^_^明言
大学生で進路を決めないといけない、というプレッシャーを感じている学生さん、どうぞ、今はなんでもチャレンジして、門戸を自分で広く開けておいてください。願いは遠回りをしても、必ず叶います!
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邦楽を楽しむ!
花崎杜季女先生 地唄舞 5月22日(金)紀尾井小ホール 18時30分より
地唄舞とはその土地の唄という意味で、江戸時代の終わりに御殿舞から発展し、市井に広がったそうです。(続きはパンフレット右下にて)
チケットは2000円です。ご興味のある方は銀座いせよしにご一報くださいませ。
i@iseyoshi.com 又はお電話番号は 0362285875
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講演内容は主に、「絶滅危惧種の着物文化」と「銀座フィルター」のお話。
’最近着物姿の人が増えましたね〜’とか’浴衣が流行ってますね〜’という声は私もよく聞きます。もちろん着物が日本から消えることはないでしょう。でも、プリントや海外でも量産できるようになった着物や浴衣は、古来からの着物とは別物です。弊店にも若い方がみえて、私の言葉を聞いて、まるで外国語を聞いているようだ、とおっしゃるように、今や伝統着物を見分けられる方は少なくなっています。そんな中、伝統着物がなぜ良いか、というと‥
健康に良い!(腰痛も帯で解消!紅花は血行改善!ウコンや藍の殺菌!)
アンチエイジング!(絹は抗酸化作用!抗菌作用!UVカット!草履でシェイプアップ!)
着物は精神安定に役立つ!(色の効用!自然素材からのパワー!職人技の氣質!)などなど。
なんたって、心尽くしの着物を、清楚に着ていると、みんなが親切にして下さる!心の健康に役立ちますね和服は正真正銘の(今時の言葉で言えば)アゲアゲアイテム
なんです。
「銀座フィルター」とは子供服のサエグサさんの会長さんの言葉。銀座は新しい店、古い店、海外の店、国内の店、とその時代に合ったお店が台頭します。そして、皆がnew faceを快く受け入れる街。しかし、その存続はお客様の目にかかっています。お客様が認めれば長くビジネスは続くし、飽きられればそこで終わりです。私は若い頃、西武百貨店が大好きで、よく買い物に行きました。吉本劇場だって、きっと 楽しいよね〜と期待しましたが、長くは続きませんでした。銀座で商いを続けるには、たゆまない誠実な姿勢と、感謝がなければ、成り立たないのです
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今日は節分です。お宅で豆まき?恵方まき?
そして、忘れてはいけないのは、節分の日は星☆を供養し、一年間の運氣改善を心する日です。日々の生活に追われると、家の内、外の半径数メートルにとらわれがちです。宇宙のエネルギーの影響を受けて、毎日を送っている私たちは、せめて今晩くらいは空を眺めて、星とのつながりを感じたいですね。
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根津美術館にて「名画を切り、名器を継ぐ」拝見。いつもは作品そのものに目がいくのに、思わず継ぎ目を探してしまう自分にクスっと。書など一つの作品が切られてしまったことは、作品としては残念でも、現代まで誰かに保管され、私でも美術館に行けば拝見出来ることはありがたい。「継ぎ」は微妙にわかるものの、手入れの工夫で、美術品として質を保っていることには、先人たちの心尽くしに感謝。中には、丸く切り抜かれた作品など、斬新さにも思わず微笑む。特に個人蔵の作品など、時代を経た紙の鮮明な色には目を見はる。墨の色も惚れ惚れ濃く奇麗。あの時代のものが今見られるとは!すごいこと。それにしても、空海の字は自由奔放なのに美しい!まるで、この字に乗っかって遠くへ行けそう!
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ご宗家、金春安明先生のお孫さんが舞台「百万」に出演します。(午後2時頃)能の子方さんはなかなか拝見できない貴重な舞台です。
10月5日(日)12時半開演 金春会定期能 国立能楽堂にて
http://homepage2.nifty.com/komparu/east.html
金春流 森瑞枝様より以下の舞台の情報も頂きました。「流派を超えて」というのが女性らしくていいですね。
「華の座」は、女性能楽師のパイオニアである観世流、宝生流、金春流の足立禮子師、内田芳子師、富山禮子師が流派を超えて企画運営し、約30年にわたり公演を重ねてまいりました。今回は足立師の追善の会となりました。
私は富山師の舞囃子「半蔀」の地謡に出演します。富山師の舞う『源氏物語』「夕顔」の情景を御覧いただきたく願っております。
森瑞枝 拝
「華の座 足立禮子(観世流)一周忌追善」
9月27日(土) 13時開演 国立能楽堂 正面指定席6000円、自由席5000円
宝生流 能 「求塚」 内田芳子 (地)近藤乾之介、他
宝生流 仕舞「清経クセ」 前田親子
金春流 舞囃子 「半蔀」 富山禮子
狂言 大蔵流「地蔵舞」 山本則俊
観世流 能 「菊慈童」 新井麻衣子
終演予定 17時頃
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幼稚園の頃、ディズニー映画の「眠れる森の美女」に魅了されて、何度も映画館に足をを運んだ。レコードも色々買ってもらい、映画のセリフは全て暗記。幼稚園の学芸会での演目を「眠れる森の美女」にすることを提案。みんなが嫌がる魔女、マリフィセント役に手を挙げた。(正直、この物語はこの役にかかっている?!)物語の進行を把握しているので、先生から監督依頼を頂き、妖精役やオーロラ姫のセリフ、演技指導も頑張り、当日、役に徹した演技で、観客のお母さんたちを沸せた(v^ー゜)
この時が人生のピークだったかも・・・゚゚(´O`)°゚
それから四十数年、懐かしく【マリフィセント】拝見。やはりアンジェリーナはすごい!)カラス役を加え、最後のドラゴンへの変身など、物語を変えながら、原作の場面に忠実に作ってあるのも感心。
幼稚園の学芸会は全てダブルキャストで、オーロラ姫二人、魔女二人だった。前半部分のマリフィセントには、妖精希望ながら、仕方なく魔女役になってしまった友人が、この映画を最近見て、「あの時のいやいやながらのマリフィセント役は、実は重要だった~」とのネット上のつぶやきを、たまたま発見!「そうだよね~」と久しぶりに幼稚園の学芸会について二人で意気投合するとは。
ちなみに彼女の実の伯母様は声楽家で、当時オーロラ姫の声で(主に歌声)レコードを出していた。オーロラ姫の歌声は、私の中では声楽家の島田ゆうこさんの歌声だ。
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元文化庁長官の近藤誠一氏の著書、「富士山」を拝読しました。ここまで手の内明かしていいの?というほど、彼の手腕や富士山と美保松原を世界文化遺産にするまでの記録が記されていて、外交という仕事に、私でも触れられる臨場感溢れる御本です。
特に近藤氏が目に見えないものへの価値にこだわる意志が強く読み取れ、をれに強く同調する外国人が重要なポストにたくさんいることが、とても興味深いと思いました。
下記は、そのほんの一部ですが、富士山だけでなく、三保松原も文化遺産にさせる際の海外の方の意見の引用です。私にとっては、意外な国の方々からの意見が楽しかったです。
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アフリカのセネガル「富士山が『信仰の対象』と『芸術の源泉』の両方の側面を表すなら、三保松原を除外するのはおかしい」
アジアの大使「物理的なつながりではなく、視覚的、精神的な関係は、文化遺産の評価において重要である、従って富士山から三保松原を除外しない」
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目に見えるものばかりにとらわれることの多い時代ですが、世界的には国境を越えて、目に見えないものを大切にする人たちがたくさんいる、それを知ることは、大きな希望になると思っています。
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日本人墓地をお参りしました。当時25000人が連行され、現地のインフラ工事に投入されたとか。その日本人たちの当時の仕事ぶりはとても丁寧で、その「成果」が現在でも現地に残っており、現地人たちは当時の様子を思い出し語っているということです。ウズベキスタンの首都近郊・デカバードの市長によると、現地の水力発電所に使用される巨大貯水槽は当時の日本人が「手掘り」で構築したものだそう。同市は、砂漠の中のひなびた町であったが、この水力発電により緑化し、以来55年間休まず電力が供給されていると今でも感謝しているということです。ウズベキスタンの他の地で亡くなった方々のお墓は土地名と何名、という形でモニュメントがあります。
お掃除をして下さっている方々。
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ナヴォイ劇場は日本人には大切な歴史の建物です。
大戦後、ロシアの革命30周年記念として、ロシアの捕虜となった日本人はレニングラードに並ぶ劇場を作るよう、ウズベキスタンに運ばれた。(シベリアに移送されると思いきや、星を見て、方向が違うことを、ギュウギュウ詰めの汽車から気付いたそう)
その隊長だった永田行夫さんという方は、457人の捕虜を、どうにか生きて全員日本に帰国させたいと、色々な工夫を凝らしたとのことです。例えば、ロシア人はよく働く者に食べ物を多く渡し、身体の弱い者には少なくしたのを、永田さんは平等を懇願した。勿論要望は聞き入れられずとも、後から日本人の間で平等に分け、しまいにはロシア人が平等に分配したとか。捕虜たちは飛行機技師など、職人気質で、自主的に真面目に働くも、合間に木屑を将棋のコマにして遊んだり、楽器を作ったり、演劇を上演するなど、楽しみも作って、演劇はロシア人が見にくるほどだったとか。
昨年、この収容所に収容された数名の方にお会いしたが、実際のお話は想像より、明るく、自分たちは幸運だったと語られていたのが、とても印象的でした。そして、この収容所はシベリヤなどと比べると、まだ待遇が良かったので、当時でも‘極楽収容所’と呼ばれたそうです。その尽力をつくした永田さんは、全員の健康にまで気を配り、将棋のかけ砂糖もスプーン何杯まで、と決めたといいます。
その後、永田さんはスパイ文書となって没収されないように、400人以上の日本人の故郷の住所は紙に書かず、暗記して、事故や病気で亡くなった方以外の全員を、無事に日本の故郷に戻した、というのだから脱帽です。
ガイドをしてくれたシュんコルさんの話によると、当時、ウズベク人は捕虜の日本人とは、口をきいてはいけないと言われたが、かわいそうに思って、柵の外からタバコやパンを投げこんであげたそう。日本人はその御礼に木屑で作った玩具を同じ場所に置いて、両国は懇親を深めたとか。
ビザンチン様式のこの劇場に写真のような表記がロシア語、ウズベク語、日本語でされています。かつては‘日本の捕虜が’となっていましたが、ウズベキスタンと日本は戦争をしていないので、ウズベク人は‘日本国民が’と変えたそうです。
その後タシュケントで起きた大地震で、他の建物は全て壊れた中で、ナヴォイ劇場は壊れなかったので、日本人の真面目な仕事ぶりが一目おかれた、とのお話です。
ご一緒した建築に詳しい方によると、この劇場はメジも揃っていて、現地の建築物よりきれいにピチッとした建築だとおっしゃいます。
先人の日本人の気質は世界に誇れるもの。その精神を大切にしたいと思いました。
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ウズベキスタンの学生に帯結びを教えて欲しい、とのご依頼に半巾帯を持参して浴衣を着て行きました。すると、来て下さった学生さん達はすでに着物は着られる!どうやって?と目を丸くすると、本で見て着付けを学んだので、生で教わってみたい、とのことでした。たとうに入った着物は全てきちんと整理され、半巾や作り帯でやりますか?と尋ねると、ちゃんとした帯で習いたい、とのこと。質問も帯上げの最後の処理は?とか帯締めの向きは?とかなり高度。モデルになって下さったロシア系のターニャが上手に自分で着るので、デモンストレーションは意外にも楽でした。
ウズベキスタンは親日派と伺いながら、ここまでとは思わなかった!日本人ももっとアジアに目を向けた方がいいですねえ。
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サマルカンド市外のコニギルメロス紙漉工房を見学しました。かつて、アラビアVS中国が戦った時に中国人の捕虜から技術を得たという紙漉。20世紀になり、ヨーロッパから伝わる紙の方が白く、安価だった為、一度は途絶えた技術ですが、1991年にウズベキスタンが独立した時に復活させたとのこと。復活させるエネルギーって凄いですね。ちなみに白くするための化学染料を入れた紙は、100年くらいしかもたないですが、天然ものは1000年持ち、字と紙の白黒の対照が目に優しいそうです。
ふと思い出したのは、帯の織元さんが、たくさん図案帳を作っていましたが、この天然の紙を使っている、と娘さんに伺いました。日本の伝統呉服は、現地では無くなってしまったような、世界の柄をモチーフにしています。もちろん、図案帳にはウズベキスタン柄もありましたが、その図案をわざわざこういう天然の紙で保存するとは‥ここに来て、改めて先人たちの苦労は無駄にしたくないと思いました。
桑の木を一日水につけておき、皮をとっていく作業です。
この桑を食べて蚕は糸を出し、絹が作られる。絹や紙はこんな自然からできていると
作業をやらせて頂いて深く実感です。
この色はサフラン、インディゴ、ザクロ、タマネギ、などの色。
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アムダリヤ川を渡り、キジル クム(赤い砂漠)を480キロバスで走り、ブハラへ。途中の青空トイレもなんのその。
念願のシルクロード!!
ここは日本でいうところの旧東海道(?!)
ブハラはサンスクリット語で「僧院」を意味する都市。イスラム世界では聖なるブハラと呼ばれているとか。500年以上の歴史を持ち、シルクロードの大切な十字路として繁栄を誇った町。おじいさん達は何をするでもなく、ただ、道に腰掛けてます。
一緒に写真撮ろうと寄ってきたおばさん。三人で撮ろうよ、と緑の人を私は無理矢理誘ったけど、なるほど、ブルーのおばさんは、ブルーの私とペアで撮ればいい、と思ってたかも。何やら、ずっと私に話しかけていたから。
ミル アラブ メドレセ
ウズベキスタンには雲ってないの。
途中寄ったナン焼き工房。丸いものはナンに押す焼き印。
お土産に買って帰れば良かったなあ。ナンを家で焼く回数が増えたかも。
買い物にきた地元女性。
コーラン台作り。三味線の譜台に使わせて頂ければ、と買いたかったのに、店員さんが店にいなかった。
リャビハウズ
ハウズは池のこと。桑の木が多いけど、柳の木もあった。銀座の柳を思い出します。
周りでみんなお茶を飲んでくつろいでた。
ナディール ディヴァンベギ メドレセ(学校)
正面には偶像崇拝を否定する教義に反する、鳳凰が爪で白い鹿をつかんで、太陽に向かう柄になっている。
ペットボトル回収の人。ウズベキスタンはどこの町もゴミが落ちてないのが、すごい!
イスマイール サーマニ廟
892年から943年にかけて造られた中央アジア現存の最古のイスラム建築。
建物を3回回ると願いが叶う、とみんな回ってた。
特急列車(sharq号)でブハラ駅を発つ時。外から駅を眺めてた三人。
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シルクロードは海のシルクロード、陸のシルクロードと大きく3つの道があります。ドイツ出身の地理学者、リヒトホーフェンが著書の仲で呼んだのが、シルクロードという言葉の始まりだそうです。絹は中国からこの交流路を経て運ばれてきた代表的な品物でした。ローマから始まり、奈良で終わるシルクロード。ローマも奈良も行ったことがありますが、実際、東と西を結んで交易が行われていた、中央アジアには行ったことがなかったので一念発起。まずはウズベキスタンの古い都市、ヒヴァから旅は始まりました。(前日タシケント入り)
ヒヴァはウルゲンチ市から30キロのアムダリヤ川下流のオアシス。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄したそうです。
ヒヴァのイチャンカラは大きな城壁。この城内をイチャンカラと呼びます。この中には2000人の人が住んでるそう。1990年に世界遺産登録されましたが、それ以前から住んでる方々も多く、遺跡の中で普通の生活が垣間見られます。
イスラム ホジャ メドレセ、ミナレット(1910年の最も新しく、ヒヴァで最も高いミナレット*信者に礼拝の時刻を呼びかける塔)
外から見た城壁
中にレストランが。そこに住んでいるご家族のダンスと音楽のショーがあります。ピンクの女の子はダンスがすっごく上手でした。私たちも一緒に踊れますよ。
カルタミナル(未完成のミナレット。1852年着工。建設を命じたハーンの戦死で中断)
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サントリー美術館の体験型ミニレクチャー「はじめてひらく 美のとびら」で屏風の作成を体験しました^_^屏風は木枠に和紙を三枚重ねた紙を貼り、湿気などで伸縮することを考慮して糊をつけない部分をわざと段々にし、それを繰り返してから最終的に表の紙を貼る、との手のかかりよう。しかも紙で蝶番を貼って表側にも裏側にも折り曲げられる。風よけ、目隠し、季節感を表したり、背景色にも使われる、屏風は便利で持ち運びも楽なエコ家具です。屏風を作る工程がよくわかったのは、半田屏風店さんのご好意によるそう。写真は表の紙を貼る前のボール紙で私が作った屏風です。二枚のダンボールを合わせて、一対になっているので、二曲一双(にきょくいっそう)と云うそう。これが対になっていなければ、二曲一隻(にきょくいっせき)だそうだ。
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銀座いせよしでは毎月、僧正様、尼僧様に店のご祈祷、商品やお客様の仕立て上がったお着物のお浄めをして頂き、お客様の手元にお渡ししています。そのご祈祷日の楽しみがこの「かつ丼」法具とともにお持ち頂くカツ丼はホカホカです
そこで、その箸袋に日記を記し、ファイリングしたものがこれ。時々見返すと独立して店を開店してから、これまでの色々な場面が思い起こされます。
思えば、母方の祖母も大のとんかつ好き。高齢になっても、週に二回は家でカツを揚げていたのだから、やはり血は争えない!
若かりし乙女の頃、雑誌JJやカフェが流行り、ランチはおしゃれなホットサンド!の女子大生ブームのまっただ中でも、ついつい私は一人、一食(立教大学の学食の呼び名)のかつ丼をほおばってました(だって美味しかったので)
父方の祖母は、というと大のお茶漬け好き。毎食何を頂いても必ず最後の締めは、薄いお茶碗にさめたご飯を一口とお煎茶をかけただけの「すっぺら茶漬け」。またそれを美味しそうに頂くこと。時々真似して頂くものの、子供には少し物足りない味でした。ところが、それから時が経ち、銀座いせよし開店当時、お昼を買いに行く時間もなく、お弁当を用意することもできず、朝、とにかく炊いたご飯を持っていく。商品の仕入れや備品に資金を使いたく、電子レンジを買うことなど思考外の開店直後。四月とは思えない、冬のような寒い春でした。冷めてしまったご飯しかない昼に、どうにか温かいものが頂きたいと考えた末のすっぺら茶漬け。それを一口頂いた時、初めてわかりました祖母の美味しい笑顔の意味が。きっと祖母も呉服屋の切り盛りに忙しく、早く頂けて温かいお茶漬けが一番だったのでしょう
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すでに絶えてしまった技術、木画とは木地に文様の形を彫り込み紫檀、花梨、黒檀、黄楊(つげ)などの木片や竹、象牙、角類など色調の異なる材を寄木細工風に象嵌し、文様を表す技法です。正倉院では花鳥唐草などの具象的な意匠を表した木画の他、いしだたみ文や矢羽根文のような幾何学的な文様の木画も見ることができます。楽器、箱、双六局など工芸品に幅広く用いられていて平安時代以降すたれましたが、明治時代に正倉院宝物を手がかりに復元されました。その復元を任されたのが木内省古。(三代目)
話は江戸幕府へ。ペリーが来航した時に持ってきた六連発銃を幕府の命で初めて製作したのが、木内喜八(初代)。その甥が跡を継ぎ、木内半古(二代目)を名乗りました。半古の兄弟が明治元年創業の初代千谷由太郎の養子に入り、二代目千谷由太郎を名のったのが私の先祖です。木内家の作品は宮内庁や国立博物館、各美術館などに保管され、正倉院展でも見られます。その品物をかんざし、帯留めなどにして売ることも手伝い、二代目千谷由太郎は商売を拡大し、店は映画の撮影場として使われるような繁盛ぶりだったと聞いています。
今年の夏、省古さんのことが気になり、日頃からご指導頂いているお寺の僧正様に、更なる念入りな彼のご供養をお彼岸にお願いしました。すると銀座の竹柳堂画廊さんで木内三代の作品の展覧会のお誘いを頂きました。竹柳堂さんとは銀座くらま会の舞台で知り合ったばかり。ガラス越しの博物館などと違い、手にとって作品を見られることは格別でした。人は亡くなってからも、想いを寄せる人にはメッセージを伝えられる、そんな先祖たちの支えによって銀座いせよしが今あるのだと、つくづく感謝する日々です。
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半原にある服部牧場に行きました。牛さん羊さん
ウサギさん、七面鳥さん
がそこここに!動物に触れるって、癒されますね〜そう言えば昔、アメリカのテキサスで牛にベロベロ舐められて、その舌触り(この場合意味が違うけど?!)案外氣持ち良かったわ〜
ここでは、おいしいソフトクリームも鶏さんと一緒に頂けます
その近く、三増にはうみたてたまご「卵黄屋」があります。そこで売ってる親子丼の元を、帰って生みたて卵で頂いたら美味しい!最後に濃厚プリンで締めくくり
丹沢山麗のオギノパン工場では、焼きたてパンを頂けますあんぱん、揚げパン、きなこパン、懐かしの三角クリームサンドパンなどなどなど。危険
中高生時代のような食べっぷり。いくら体重変化に有余のある着物でも、寸法は変えたくないですからね
何はともあれ銀座から数時間の、半日旅、楽しかった!
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東京国立博物館での「和様の書」を見に行ってきました。正直今まで書の展示にはあまり興味がなかったのですが、今回はとても楽しいと思いました。わが国の書は、三筆と呼ばれる空海、橘逸勢、嵯峨天皇らによる中国風から、小野道風、藤原佐理、藤原行成ら三跡などにより日本風の和(倭)様へと姿を変えたようです。並行して生み出された仮名も平安の美しい古筆、安土桃山の寛永の三筆(近衛信尹、本阿弥光悦、松花堂昭乗)、江戸幕末へと多様になっていったようです。今までは写経、手鑑、高野切などの古筆、消息、などなど、断片的に見ていたものが、今回の展示で一同に会したという感がありました。全体の印象として、連綿のないすっきりとした仮名が美しく見えたこと、初めて知った「葦手」という語彙、お経とは思えない煌びやかな平家納経、緊張感のある書状、料紙に描いてある絵画の優雅さなど、美術品としての「書」を見直す機会となりました。そして、その背景が目に浮かぶような、生きた書に触れることができました。余談ですが、トリビアpursueとして、題名の「和様の書」の「の」は豊臣秀吉の書だそうです。たくさんの中からこの字が選ばれた経緯はどんなだったのでしょうか?(笑)残念なことに、最近触れるのはパソコンの文字ばかり。文を書くことは伝達という目的のみが多く、絵文字や記号で氣持ちを表す時代です。学校の書写の勉強も書き順やハネなどに固執するあまり、明治以前は大切にされていた書の本質が忘れられているように思えます。こんな中では、自分の文化程度はどんどん落ちるばかりです‥
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都心から近いのに自然がたっぷりの秩父、念願叶って巡拝しました。三年前、二年前に観音霊場三十四カ寺と秩父神社をお参りし、昨年と今年で寶登山神社、吉田町椋神社にゆっくりお参り。もやの中の昨年の寶登山神社の大神さまと、晴れた日にニッコリされた今年の大神さま。その表情は自分を映されているように様々です。
椋神社は日本武尊東方遠征の際に猿田彦神が案内したとされる旧県社で、龍勢祭という手作りロケットを打ち上げて奉納する祭りで有名です。いつか見てみたいですね。
秩父はかつて、今では珍しい着物、銘仙の産地でもありました。
秩父事件などもあり、(前述の椋神社は秩父事件の決起集会が行われた所でもあります)大変な時期を乗り越えたのだと思いますが、今はのどかな風景に囲まれています。お蕎麦屋の[かわ伸]さんで地元のお蕎麦と、復活をとげたお神酒、[秩父小次郎]を頂いたり、[金昌寺]に奉られている’わらじ’そっくりの「わらじ丼」(かつ丼好きな私でも、超満腹の量でした!)汗を流した[満願の湯]後のかき氷など、直会や昼食の楽しみも盛りだくさんです。
次回は三峰神社にも行きたいわ~
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ここ六、七年続けている七福神巡拝。今年は今までで最も近い日本橋です。
昭和八年に祖父と祖母が銀座に店を構える前、伊勢由は商業の中心地である日本橋の、若松町に店を構えていました。当時は高級履物、地染浴衣、着物、双子機風呂敷、袋物、貴金属など多種品目を扱い、宮家、新ばし、柳ばしの花柳界、芸能の方などにご好評を頂いたようです。
祖母の通った久松小学校や、行き慣れた業者を通り過ぎ、改めてお会いする七福神様方です。自ずと日常に対する感謝と、この地からの流れを受け継ぐことができて、幸せだわ〜と思ってしまいます。
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11月22日(木)〜25日(日)まで、ムーブ町屋ギャラリーセンターまちや4階
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信貴山大本山千手院道場にて神佛習合両部神道による巫女、神子初級講習を受けました。伝統教学並びに諸作法を学び、ご一緒した皆様は巫女衣帯を体験されました。(私は以前巫女体験させて頂きましたので)
氣持ちをこめて一つ一つの所作をすることで、自然がより身近に感じられるようになります。
写真は参加された美人姉妹の巫女姿です。
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地唄舞花崎会家元(財)地唄舞普及会協会代表の花崎杜季女さんの講演を聞きに白金台にある素敵な空間-松岡美術館に行きました。花崎氏のお話から、地唄舞は江戸時代後期、上方から良家のたしなみとして発展したもので上方舞ともいうそうです。
舞「まい」は「まわる」からきて、これは神へ捧げる動きでもあります。上にはね上がる「踊り」とは少し違います。静に前に進むカタツムリのことを「マイマイ」と呼ぶのもこの語源からとのことです。そして舞の中にある「踏み」は神への祈り、土地への感謝の意でもあります。
これはご存知の通り、能や祭りなどでも馴染みのある共通の日本人の神佛に対する心の表現と言えます。
その他、花崎先生は美人のしぐさを数々教えて下さいました。
その中から今日はいくつかご紹介しますね。
着物美人の座り方
ーあごをひいて、首は上に引き上げる、丹田(おへその下辺り)に力を入れて腕を一旦後ろにまわし、肩を落としてから手は前へ持ってきて膝の上に。
着物美人の立ち方
ーおへそは前向きのまま肩を落として後ろ方向へ、胸を開いてあごを肩にのせる感じ。
着物美人のしぐさ
その1ー脇は卓球ボール一つ分しか開けない。
その2ーものを取る時は下から手をのばす。
その3ー手を上に上げる時は肘を下向きに。
その4ー電車のつり革を持つ時は肘を巻いてから上に上げる。
その5ー手を前に出す時は肩を後ろにひく。
実践したい方は是非銀座いせよしまでおいでください。ご一緒にいたしましょ。
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『桜は古くから日本に自生する植物で、『古事記』『日本書紀』にも登場します。
桜の花が咲くのは毎年農事が始まる直前であるため、田の神が宿るといわれ、大切にされてきました。
奈良朝の頃に中国から梅が伝来、その香りのよさから大変に愛されるようになり、「花」といえば梅の花を指すほどでしたが、平安期になって国風文化が花ひらくと、再び人々の気持ちは桜に移り、以後ずっと、「花」=桜 の時代が続いています。
その桜。なぜ「さくら」というのかについては諸説あって、「咲く」に複数を示す「ら」がついたのだという説、稲(サ)の神が憑依する坐(クラ)だから「さくら」だという説、木花之開耶姫(コノハナサクヤビメ)からきているのだという説に大別できるようです。いずれの説が正しいかは専門家の研究におまかせすることにして、ここでは、最後に出てきた木花之開耶姫について、もう少しお話ししてみます。
* * *
桜の花が愛される理由。それは花のかたちの愛らしさ、枝にこぼれるように咲くみごとさもさることながら、ぱっと咲いてさっと散ってしまう、その儚さも大いに関係していることでしょう。平安貴族は、名残惜しさに心がかきたてられるさまを歌に詠み(『古今和歌集』の「春」の部には桜の歌がずらーっと並んでいます)、後に武士の世となると、桜には散り際の潔さがあるとして、「花は桜木、人は武士」と、 倫理的な尺度からこれを讃えました。
それで、桜のように美しいとされる木花之開耶姫ですが、彼女にもまた、命の儚さをおもわせる伝説があります。木花之開耶姫は、天照大神の命により、高天原から天下った(いわゆる「天孫降臨」です)瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に求婚されます。姫の父親は喜んでこれを承諾しますが、 どうか姉姫ももらってやってほしいと言い出します。開耶姫には磐長姫(イワナガヒメ)というお姉さんがいました。開耶姫ほしさにそれを受け容れた瓊瓊杵尊ですが、いざもらいうけてみると、磐長姫は妹とは少しも似ていない。つまり、まあ不美人だったわけです。それも我慢できないほどだったらしく、瓊瓊杵尊は彼女を親元へ送りかえしてしまいます。舅は嘆いて言います。「私は、花が咲きほころぶような繁栄をとの祈りをこめて開耶姫を、岩のように揺るがぬ命をと磐長姫をそれぞれ差し上げたのです。それをいま磐長姫を戻された。あなたとその御子孫は、花のように美しいだけで、儚い命となってしまいましょう」
このため瓊瓊杵尊の御子孫である歴代天皇の寿命は永遠ではなく、その遠い子孫である我々の寿命もまた儚く短いのだ――『古事記』はそう言っています。
* * *
不老不死を望む立場からすると、瓊瓊杵尊はまったく余計なことをしてくれた、ということになりますが、美しく栄えることと、長く命を保つこと――このふたつを両立させるのは、神話の時代から、なかなか難しいことのようですね。しかも、繁栄をもたらす木花之開耶姫が美しく、永遠の生をさずけてくれる磐長姫が不美人であった、というのも意味深長です。
そうして、遠ーーーいご先祖が磐長姫を離縁したために永遠の命を諦めざるをえなくなった我々が、いまだに懲りることなく、美しく咲いて散る桜が好きだということも。』
*注
梅(杏)、桃、桜と春を告げる植物ですが梅・杏や桃が邪気祓いの重要な要素(食しても)であるのに対し、桜は華やかで現代人にも愛されますが儚さの象徴である対比に意味があります。邪気を祓えると言う事は清陰の良い氣質があり、華やかとは陽の氣である訳です。
以上ご指導をいただいている僧正様に教えていただきました。
皆さんもそんな桜を身につけて春を楽しんでみませんか?
写真の友禅染帯 95,000円 絞り帯上げ 16,800円 洋角染分け帯締め 13,650円
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ウズベキスタン協会のパーティに参加しました。ウズベキスタンはシルクロードの中継地。自国はもちろん、隣の国も海に接していない珍しい立地です。海に囲まれている日本とは正反対ですが、ウズベク語は日本語にも似ていて、人々は親日派だそうです。真っ青な青空に映えそうなカラフルな衣裳をお召しの方がたくさんいらっしゃいました。子供の衣裳もかわいく、写真の方のジャケットの織も美しく手がこんでいます。国民性が多種なので文化も様々だそう。これは現地に行ってみないと、分からないことがたくさんありそうです。
ウズベクパンやお菓子もあり、会場で知り合ったカザフスタン人と友達にもなりました。
ダンサーの方だけでなく、参加者もみんな踊りまくって楽しそう〜でした。
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10日の皆既月食奇麗でしたねえ。最近の夜空は曇り空が多かったですが、みごと、この日は雲のないよどみのない空。褐色の月は球体の形がくっきり見えて、自分が宇宙空間の中に立ってることが実感されました。
昔の人の月を寝て待ち、座して待ち、の気持ちが分かります。一方私は着こんで待ち、でしたっ
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槙徳子さんが毎年運営するNPO法人アジア女性経済会議主催セミナーに出席しました。今回の講師は牛尾奈緒美さん(明治大学教授)と中国人のフォホンさん(マーケティング会社副社長)。企業の取締役の女性がしめる割合はノルウェーが44パーセントに対して、日本は1,4パーセントに過ぎないそうです。
都市部の中国では現在、保母さん(子供の面倒をみるだけでなく家庭の仕事のお助け人のような印象を受けました)のニーズが多く、賃金もそれに伴って2割増しだそうです。
それもそのはず若いワンルームに住むOLでも家の掃除を頼むんだそう。
中国人の定年は女性50才男性55才だそう。(幹部は5才増とのこと。)定年後は旅行などを楽しむようですが、随分早い定年ですね。
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三館連携特別展「神仏います近江」は MIHO MUSEUMと滋賀県立近代美術館と大津市歴史博物館の共同で近江の伝統的な宗教文化を紹介した企画。
3つとも行きたいところですが出張中の時間の合間、三井寺に参拝したいので、隣接する
歴史博物館「日吉の神と祭」に行きました。日吉の神々は延暦寺の守護神として神と佛が融合した世界を作ってきた社、とのこと。佛像に比べて神像を拝見する機会は少ないですが、こちらで拝見した神像は
ひな人形のように人の形をした神像でした。博物館から眺める琵琶湖と地元高校ののどかな部活の情景も
心安らぎ、夜は思いがけず嵐山吉兆さんにて。季節感あふれる目にも楽しいおいしいお食事でした。
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文化服装学園服飾博物館に行きました。
こちらには世界の絣が所蔵されています。
イカットというと今までアジアのものと思ってましたが、フランスのドレスまでありました!
意外に印象的だったのは、ウズベキスタンの鮮やかな色使い。やはり空の青さに合うのでしょうね。
でも何と言っても日本の絣が曲線がきれいで一番でした。
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『高野潤写真展
インカとアンデス原産植物』を見に行きました。
インカ帝国のマチュピチュ遺跡、塩の棚田、トウモロコシじゃがいも、祭りで踊る人々、アルパカ、全てが自然の中の一部という感じ。一晩シャッターを開けたままに撮った風景の一枚もすごかったです。
着物や帯の柄にインカ柄はよく使われます。大地の澄んだ空気が感じられるので、私はとっても好きなんです。
和服には世界の文化の柄がところどころ残されています。現地でも失われてしまった柄を、日本では大切に資料として保管して着物や帯の上で表現しています。銀座いせよしでは以前ブログでご紹介した「すくい名古屋織帯」でよくインカ模様を扱っています。合わせてご覧くださいませ。
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三味線の会をやりました。初めての国立劇場での演奏、めちゃ緊張しました!
前日は浅草見番にて、リハーサル。できの悪さに沈没してからの一夜づけ猛特訓の成果あって当日はなんとかサマになりました。終わって後輩が楽屋に来てくれた、ホッと一安心の一枚です。それにしてもプロの方々と一緒の演奏は気持ち良かった!
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ウィーンフィルハーモニー管弦楽団リハーサルに行きました。
指揮者自らがピアノの演奏もあり、リハーサルでは、ピアノを弾きながら、指揮しながら、指示を出すというすごわざ!
終わった後に演奏者から、指揮者に対して拍手がわいたのが印象的でした。
今回は原発の影響で、日本公演は希望者のみの来日だったそう。(いらした演奏者の方々、サンキューです)
リハーサルは店の営業時間前に行かれるので嬉しい。朝いい音楽を聴くと一日中気持ちいいですよ。
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出羽三山に登拝させていただきました。今年は月山の卯歳御縁年。御祭神の月読命は月を象徴する神として、兎は月山神の使者、月の精とされ、悪運から免れる力があるとされています。
お客様には「え〜千谷さんって山ガールなの?」と言われますが、そんなかわいいものではありません。
そこで今日は山で大活躍だった‘わらじ’をご紹介します。わらじは
山の登り、下り、岩場、澤、沼とどんなところでも自由自在に歩けます。足と一体になるので、足の裏でしっかりと大地をつかめ、水の中で飛ぶこともできます。そしてわらじとセットで優れものなのが、足袋です。足袋は沼に入ってどろどろになっても脱げば素足はきれいなまま。弊店で扱っているむさし屋さんの足袋は生地が良くしっかりとした縫製なので、わらじがボロボロになっても足袋だけで歩けるほど丈夫です。
とは言え、呉服屋で‘山でも丈夫な足袋です!’というセールストークはちょっと無理がありますね
使用前のわらじです。
羽黒山は「現世」、衆生を象徴する観世音菩薩
月山は「来世」と弥陀浄土を象徴する阿弥陀如来
総奥の院湯殿山は「宇宙の根本」である金胎両部大日如来
使用後のわらじはこんな風になりました。
里へ降りると昨日とはちょっとだけ違う自分になります。
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根津美術館の名物刀剣展を見に行きました。
いつもは鞘の細工ばかりに目を奪われますが、今回の展示はライトがとても良く、
刀の波紋がきれいに見えて刀そのものを満喫できました。
ところで刀の製鉄で思い浮かぶのは「ひょっとこ」。その語源は製鉄の為の竃(かまど)の火を竹筒で吹く「火男」がなまったとか。
う〜んこの刀剣、何かの形に似てる...と立ち止まると、弊店で飼ってる熱帯魚クラウンローチの形!
わからない方は是非、弊店に見にいらしてくださいね。
刀剣を見ながらいろんな想像が膨らみます。
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文楽見に行きました。演目は「ひらかな盛衰記」と「紅葉狩」。
特にひらかな盛衰記の松右衛門内より逆櫓の段の豊竹咲太夫と鶴澤燕三はすごい迫力。
紅葉狩りは文楽で見るのは初めてでしたが、みごとなまでの人形の舞。
型がきまり、みえをきり、扇を投げる時に少し首をかしげるところなど、
本当に人形に命が吹き込まれていたようでした。
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13日のNHK大河ドラマ「江」の「秀吉死す」の回に、弊店が平素よりご指導を賜る、金春流、金春憲和氏(写真手前)と辻井八郎氏、井上貴覚氏が出演されました。秀吉が亡くなる直前に能「田村」を舞うのですが、豊臣秀吉は、本当に金春流の能を熱心に習って演じていた上、新作能も作らせていた、という史実があるそうです。
ちなみに、金春流講演予定として9月は、首都圏で以下の公演がございます。
ご興味のある方は銀座いせよしまでお知らせくださいませ。
★17日(土)12時30分~「円満井会定例能」(矢来能楽堂)憲和・能「井筒」シテ、他(全自由5千円)
★3日(土)午後1時~東日本大震災チャリティー公演「古典芸能の集い・横浜」(横浜能楽堂 TEL045-263-3055)
安明・素謡「翁」、憲和・仕舞「初雪」、他に能、狂言、日本舞踊、琉球舞踊(全席指定5千円)
★14日(水)午後5時30分~「東京能楽囃子科協議会定式能」(国立能楽堂) 憲和・舞囃子「竹生島」、他
★15日(木)午後5時30分~「15世大倉長十郎27回忌追善能」(観世能楽堂)安明・一調「蝉丸」、他
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今日は25弦琴と尺八のユニット、ウラナスの結成5周年コンサートのお知らせです。
この二人は芸大を卒業後、国内、海外にて活動中
最近ではNHKなどでも注目されています。
日本の伝統を守る若手を応援しようと弊店も協賛しています。
想像を超えた楽曲です。是非いらしてみてください。
チケットは弊店にて数枚は確保しています。お気軽にお問い合わせくださいませ。
良い音楽の前後に、もちろん弊店へもお立寄ください。
春爛漫の...梅、椿、桜、お雛様、イチゴ、アスパラ(?!)の着物、帯とともにお待ちしております。
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2月15日(火曜日) 夜7時開演
渋谷区文化総合センター大和田伝承ホール6階
(渋谷区桜丘町23-21(旧大和田小学校跡地)
http://www.koten.co.jp (予約受付)
03-5478-8265
http://www.koten.co.jp/uranus(ウラナスホームページ)
前売り 4000円
当日 4500円
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ハワイ島の自然は恐るべし。
夕方、煙の出ていた火口が一瞬にして真っ赤な景色に。夜のキラウエア火山は荘厳です。
マウナケア展望台の星は星座表で見る星座のようにはっきり。
木星の縞を見たのは生まれて初めてでした
火山の帰り道、車を運転しててラジオから流れてくるEW&FのBGMは鳥たちの声。
さすがハワイのラジオは一味違うと思いながら、あんまり月がきれいだから、
車をとめ窓を開けたらなんとそれは莫大な自然の音。
窓締めてガンガン音楽かけてるのに、それを上回る鳥や動物の声ってどんだけ〜
そんな中、山猫みたいなのが横切るは流星はそこかしこに飛ぶし、
竹に苔がむしてるのもあんまり見ないですね〜
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今年も出羽三山にあがらせていただきました。
月山8合目近くの突風はすごかったです。身体が真横に飛ばされるのは生まれて初めて。
とにかく必死に身を縮めて地面にしがみつくだけ。自然の力の畏れを思い知りました。
写真はそのほんの少し前の穏やかな時間。
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はやぶさ、丸の内に見に行きました!
実際このこたちが宇宙を巡ってきたのかと思うと感無量。
印象的だったのはスタッフの方々の対応です。
長蛇の列の見にきた私たち一人一人に「ありがとうございました」と
告げていました。その気持ちこそが、今回のはやぶさ帰還を導いたのでしょう!
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稀音家義丸さんの会に伺いました。
義丸さんは80歳。永年「稀音家義丸之会」を催されていましたが、
今回で終了し、今後は若い方々のためにご尽力されるとか。
毎回伺う中で、今年は特にご高齢とは思えない艶のあるお声でした。
長唄の研究にも労を惜しまず、そんなお姿を見習うばかりです。
‘契情道成寺の川崎音頭’は稀音家六四郎先生、六公郎先生、助三郎先生、一郎先生の
お三味線で、華やかに最後を飾りました。
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赤坂の紀尾井ホールに新内を聞きに伺いました。
お座敷での新内は聞いたことはありますが、ホールでの新内は初体験
人間国宝の新内仲三郎さん、三代音さんともに力強くて迫力があるのです。
静かでか細いものだと思っていた新内のイメージが一転。
優しさの中にもずっしりとした音に包まれました。
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7月中旬、秩父三十四観音霊場巡礼に伺いました。
雨の多い時期で、暑さと雷も心配でしたが、実際は涼しく、雨も傘無しで全く問題のない、
おてんと様に感謝の二十一カ寺お参りでした。
初めて行った秩父は東京から2時間とは思えない、豊かな自然といい氣に満ちたところ。
どのお寺もそれぞれの温かみがあり、多くのお寺の美しい蓮の花が印象的で、宗派は色々ですが
僧正様に続いて観音様のご真言をそれぞれお唱えすると、観音様は皆様快くお迎え下さったようでした。
全部はお伝えできませんが‥‥
両手に蓮の花を持つ優雅な聖観音と不動明王のいらっしゃる神門寺の回廊巡りは心休まり
野坂寺には木彫りの佛像が大勢いらして心強く、
大慈寺などのおびんづる様の頭を念入りに撫でさせていただいて、ど〜ぞ頭が良くなりますように
西善寺さんの樹齢600年のコミネモミジはみごとな苔と枝ぶり。(下記写真)
本堂の木の感じも良く、持病とも言えるボケよけお箸も買いました
修験のお寺だった金昌寺さんの山門にある大きなワラジは慈母観音像と共に印象深く、
橋立堂の鍾乳洞はみごとで、洞内には自然の神秘がところどころに。
一汗かいた後のごまのアイス、ゆずシャーベットは美味しかった
巡拝を終えて宿へ。武甲の湯別館は静かで、お湯もよく、日頃の疲れをひとまず流し、
その後はもちろんお神酒。‘秩父錦’‘武甲の生酒’は全く異なる二つのおいしさでした。
おみやげ用お神酒としては帰り道に、‘秩父小次郎’を。
(お昼に寄ったおそば屋さん「かわ伸」さんにも秩父次郎、小次郎、はありましたよー
もちろんおそばもおいしかった!)
行者にんにく、お蕎麦、こんにゃく、おまんじゅうを片手に帰路に着きました。
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昨日7月19日は立川志の吉さんの落語会が国立演芸場でありました。
実はこの会のために新調したお座布団は弊社がご用命を賜り、
ご用意させていただきました。
舞台の上でたっぷりと、落語家が座すこの座布団にも、その道に長けた職人技の秘話があるんです。
江戸期に粋、ともてはやされた杜若色の正絹の生地を選んでいただいたら、いざ仕立てへ。
よく見るお座布団は四隅だけでなく、真中にも糸の房がついています。それは真中でとめる方が綿が動かない、という利点があります。
ところがこの布団職人、長嶋さんは上等な縮緬の生地に針の穴を真中に開けるのは忍びないと、生地を思いやって、綿の入れ加減のみで動かないようにするのです。そうすれば将来、この布団を何かに縫い直すこともできるのです!まさに愛情たっぷりのお座布団です。
楽屋でお会いした志の吉さんは、おおらかで、親しみやすく、たちまちファンになりました。
着物で落語を聞きに行く、っていいですよね。
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先週末、朝起きてみるとすっかり陽射しは夏。急いでオリジナルレースの半襦袢にピンの絽の半襟を5分でかけ、綿麻着物を出して、一重で軽い絹の半巾帯を締め、 いざ外へ。
んーやっぱり夏物は涼やかでいい。
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今日から銀座松屋パートの1階でGINZA人の選ぶ「美モノ+粋モノ」をやってます。
(10月14日水曜〜20日火曜)
その推薦人の一人として、一言
カイザーさんとのコラボのパンはめちゃ気に入ったので、次にご紹介をしますが、他にタントマリーさんのケーキ(これも私の希望でオールドパーウイスキーを入れていただきました。すっごくおいしいです!!)
文明堂のカステラパティスリーデュボンクーフウさんのケーキ、をお薦めしています。
新潟県佐渡島にて、トキを農薬から守るために無農薬の米を作るため、規格外の米ができてしまい、その農家を守るためにお菓子屋さんで規格外のお米を買い取って守ろうという話。
今、食の安全が騒がれる中、安全な食べ物を確保することは勿論大切ですが、強いてはお供物やお神酒になるお米を大切にする心は日本人の精神を守ること。自分たちができる少しづつの努力がトキを含めてお互いさまを守れることになれば、こんなすてきな話はないですよね。
写真上から
松屋の会場(写真左)
銀座人集合(写真右)
カイザーのパン
ボンクーフのケーキ
タントマリーのケーキ
ジャンミエの米粉ガレット
http://www.depachika.com/
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今日は『読売オンライン・新おとなクラブ』のご紹介です。記事の内容はさることながら、これを書いてくださったプランタン銀座の永峰好美さんのパワフルな 仕事ぶりに私はいつも脱帽。弊社で行った〔銀座で小さな和講座〕にもまめにご参加いただき、取材にいらしても着物体験をされ、常に体得されたことを記事に するという本格派。私も見習わないと
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ご無沙汰しておりました。
私こと千谷美恵は、老舗 伊勢由から独立、自分の店をオープンさせて頂きました。
これがご無沙汰の理由です。
銀座 いせよし
〒104-0061 中央区銀座6-4-8 曽根ビル3階
東京メトロ 銀座駅 C3出口より2分
電通通り(外堀通り沿い)銀座西6丁目バス停前
電話: 03-6228-5875
mail: g@ginza-iseyoshi.co.jp
4月8日に開店し、現在に至っております。
伊勢由時代から、お客様、周りの方々からのお力添えを頂き、この日を迎える事が出来ました。
新しい店舗名は「銀座 いせよし」となります。
あくまでも本物で、しかもプライスを手軽に、ということができないものか、と長い間、試行錯誤をしておりました。
なんとか、今迄教えて頂いた事、一つ一つが結晶となり、ノウハウとなって、念願だったお店を開く事ができまたのです。
若い方、着物初心者の方も、日頃もっとワードローブを増やしたいと思っているベテランの方も、どうぞ、一度「銀座 いせよし」をのぞいてみて下さい。
びっくりするような良いものが、手軽にお届けできると思います。
写真は、開店日に頂いたお花の一部をご紹介させて頂きました。
その他、沢山の応援を頂き、これから、もっともっと良いものをそろえていきます。
今後とも何卒宜しくお願い致します。
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3月1日から8日まで神楽坂ではお祭りをやっていました。
落語に寄席、茶道に舞踊と神楽坂ならではの催しがもりだくさん。
古典空間さんのご案内で、私は7日の「日本の伝統芸能絵巻」を見に矢来能楽堂に伺いました。
この日は神楽坂在住の国宝級の方々が一同に集まられ、
雅楽に能、長唄、箏曲、お囃子に新内、日本舞踊と2時間半があっという間でした。
こんなに多くのジャンルの一流の芸能を一辺に拝見できるとは感激。
特に雅楽をあれだけ真直で拝聴するのは、生まれて初めての体験でした。
日本人って本当にすばらしい!
古典空間のウエブページ
写真は神楽坂の芸者さんとご一緒に。
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第101回目資生堂パーラーにての弊社展覧会のまかないランチを特別にご紹介します。(お客様メニューにはありませのでくれぐれもご了承ください。)チキンピラフ、クリームコロッケ、サラダ、菜の花、かぼちゃ、はす、らっきょう福神漬け、キウイとイチゴを折りに入れていただいて。資生堂というと西洋料理のイメージですが、懐かしのチキンピラフや菜の花の辛子あえ、かぼちゃの煮物が一口、小さいコロッケが一つなど気のきいた心温かなお味がします。子供の頃、弊店の展覧会に来て厨房の隅で、ランチをいただいたことを思い出します。山高帽のコックさん(今でいうシェフ)が働く中で、大人の仲間入りをした感じでとても刺激的でした。その頃と少しも変わらない懐かしい味の思い出深いランチです。
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